形に残るもを作るのはやっぱり楽しい。

Posted by on 11月 19, 2013 in DA35mm Macro Limited, K-5, LIFE, PENTAX | No Comments
PENTAX K-5 smc PENTAX-DA 35mm F2.8 Macro Limited ISO400 f2.8 1/20

PENTAX K-5 smc PENTAX-DA 35mm F2.8 Macro Limited ISO400 f2.8 1/20

4年前にiPhoneを使い始めてからの数年間で生活スタイルがずいぶん変わった。

ちょっとしたメモも音楽もスケジュールもニュースの確認も全部iPhone中心で、キンドルで本を読んだりフリッカーに写真保存したり、クラウドのデータベースも利用するようになったりして、身の回りの情報がどんどんデジタル化されていっていった。SNSを使っている時間も長くなったし、写真をiPhoneで撮ることも増えた。
確かに情報は蓄積されているし、ネットさえつながればどこででも確認できるし、情報の検索もできる。とても合理的。便利だし、iPhoneのUIは触っていて楽しい。でも、最近はそういうことに対して何か物足りなさというか味気なさのようなものを感じていて、何か物足りないなーという感じがずっと消えない。

これ、何なのだろうか。

最近、写真を頻繁にプリントして見るようになってからも似たような感じがあって、ディスプレイで見るのとプリントして見るのとは何か感じ方が違う。そして、この感じも何なのだかよく分からない。

盛大にデジタル機器の力を借りてはいるものの、やっぱり何か具体的にものを造るという行為は、できあがった時の満足感がかなり高い。
Evernoteとかに色々と情報を蓄積していくことも楽しいけれど、自分で書いて埋めていくメモ帳はより作っている実感があって楽しい。色とか字の形とか丁寧にかかれているか急いで書いているかとか、紙に書かれたメモには色んな情報が埋まってるから。あとでそれを見た時に、それを書いた時の気持ちが思い出されたりするのも楽しい。
写真をプリントするためには、まずプリントする写真や用紙や色合いとか色々なことを選択して判断するということが必要なので、そういうプロセスを経て形になったものになにかその人の気持ちを少し感じたりするというような部分が本当にあるのかな。

こういう情緒的なことを書くことになんて何の意味も情報も含まれていなくて価値無いと思われるかもしれないけど、やっぱり最近同じように感じている人はそれなりにいるのではないかと思って書いてみた。

ものを造る、形にするということを少しずつ整理して形にしていけたら、生活も少し充実したものになるんじゃないかという感触がほんのわずかながらあるので、その意味とか良さをもう少し考えながら続けていけば、何か写真にも変化が生まれるかもしれないなぁ。

 

 

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