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写真は自分の視線、気持ち。

「どうしてその写真を撮ったの?」

一時期通ったことがある中村教室という写真学校の講評の時によく言われたこの言葉。
当時、僕はこの質問に対してちゃんと答えることができなかった。その場ではごにょごにょと理由らしきことを口にしてはいたものの、本当のところ自分でも撮った理由なんて考えてもいなかったので後付けの言い訳みたいなものばっかり。

「なんとなくいいなと思ったからというだけで…」それが本心で全てだったと思う。
その写真を撮った理由、その場面でシャッターを切った理由、その絞り値にした理由。
色んなことを一つ一つ振り返って見ても、当時の自分の頭の中にはこれといった理由が見当たらなくて、ただ本当になんとなくシャッター切ってただけだったなぁ。

写真を始めて間もなかったから、それだけで楽しくて十分に満足していたからあまり深く考えようとも思ってなかったんだと思う。

 

なんとなく面白そうだからということで始めた写真も、当時はどこか行き詰まりを感じていたことがきっかけで、一歩踏み出したいと思い通い始めた中村教室。そこで初めて「写真表現」という考え方を知り、同時に自分が写真撮影の入り口で立ち止まっていてそこから踏み込めていないんだなぁということがなんとなく感覚的に分かった。

でも、だからと言ってどうやれば踏み込むことができるのか分からなかったし、なんとなくこの先の方にあるものが見えかけただけ。当時、仕事が激烈に忙しかったこともあって通い続けることは断念したのだけど、そのことは今でもはちょっと後悔していたりする。
「写真表現」という観点から自分の写真を見て、講評を受けて自分でも考えて、ということを続けられる環境ってなかなかない。写真のワークショップであれば色々なところでたくさん開催されているけど、ハウツーものであることが多くて、自分に問いかけ続けるということがちょっと少ないようなイメージがあって。

どういう写真を撮りたかったのか、ということから考えて、それならどういう撮り方がふさわしいかということを考えていくことはよくある話。ワークショップとかでもよくあると思う。
でも、自分が何をどう見ていたのかということは自分にしか分からないから、ここだけは自分で自分に問いかけ続けるしかないのだと思う。ただ、どうやって?それが問題。

と、色々考えていたので、大阪で中村教室みたいなことをしている写真教室をネットで調べてみたのだけど、今の生活を続けながら通えるようなところなんてやっぱりない。自分でやるしかないなぁ。

 

PENTAX K-3 II smc PENTAX-FA 31mm F1.8 AL Limited ISO100 f2.8 1/20

PENTAX K-3 II smc PENTAX-FA 31mm F1.8 AL Limited ISO100 f2.8 1/20

 

ただ、こういうことを考えている時にはいつも思うのは、「写真撮るのにそこまで色々考える必要あるの?撮りたいように撮ればいいやん、趣味なんやし」ということ。楽しければそれでいい。
何のために撮るのかとか、何を表現したいのかとか、そんなことは考えなくてもいいんじゃないかとも思う。

でも、こうやって考えてしまうのは、性格というところもあるかもしれないけど、写真を撮り続けている人は多かれ少なかれ一度は考えることなんじゃないかなぁと思っている。なんか思うように撮れないなと感じることってきっとあると思うし、そうなると、自分はどんな写真が撮りたいんだろうとか、自分はどうして写真撮ってるんだろうって考えることがあるんじゃないかと思っているんだけど。

そうでもないのかなぁ…。

子供の写真にしたって、なぜ写真を撮っているのか、それは子供のために撮っているのか自分のために撮っているのかって訊かれたら、ちょっと考える人も多いんじゃないかなぁ。自分だってこの辺りはイマイチよく分からないし。無意識に、ただただ今の子供の姿を写真に残しておきたいと思って撮っていることが多いのかもしれないけど。

誰かのために写真を撮りたいと思って写真を撮ることもあるかもしれない。
でも、どんな写真であっても自分のため、自分が撮りたいからという部分は必ずあるはずだし、それでいいと思っている。

 

PENTAX K-3 II smc PENTAX-FA 31mm F1.8AL Limited ISO 400 f4 1/180

PENTAX K-3 II smc PENTAX-FA 31mm F1.8AL Limited ISO 400 f4 1/180

 

最近、アラーキーが糸井重里との対談で、

「写真って「エゴとエロ」だからね。」「写真って結局、撮る側のエゴだし。」

って言ってるのを読んで、あーこんなに写真撮りまくって考えまくってる人がそう言うんだからやっぱりそうなんだろうなーとちょっとすっきりした。
それに、どんなに上手な写真だったとしても撮った人が感じられない写真ってやっぱり面白味に欠けるかなとも思うし。

自分のために撮るっていうのとは少し違う話かもしれないけど、やっぱり写真には自分が撮りたいと思う気持ちがあるのが当然で、その撮りたい気持ちに素直に撮ればそれでいいだけな話なのかも。

 

あーだこーだ考えても、やっぱり結局は、自分の視線、気持ちを感じ取れる写真を残していきたいのだというところに落ち着く。
その積み重ねがある程度の形になった時に、自分の気持ちもある程度の形として人の心の中に残るものにできるかもしれないし。
だからこそ、自分が何をどうやってみているのかどう感じているのかが分かるように写真を撮りたいし、そうやって撮った写真で少しでも多くの人と繋がれたり何かを共有できたら、もうそれで十分だ。

 

 

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2 Comments

  1. harada
    2015年12月3日

    こんばんは。 はじめまして。
     写真を撮る理由、、いろいろありそうですね、  今の時代。
     私の若い頃は写真は自分の表現できる手段だと、堂々と考えていました。その当時、そんな人は稀だったからです。
     しかし、今はデジカメ、パソコン、ブログのおかげで、そんな人はわんさかとおられますね。没個性になってしまいまいました。 そして、写真をする意味も変わってきたなと感じています。それは、貴記事の最後に記されている事です。
     人との繋がり、、これかな。 いろいろブラウズしていると、写真自体にはあまり魅力はない(失礼!)のですが、「これ、なんかいい!」の  ようなコメントの数々。  まぁ、写真は「きっかけ」にすぎないのでしょう。
     (私のように)水平が、、とか、首に線がきてる、なんて写真に突っ込んだ事を書くのは厳禁なようです。
     ホントの写真好きなら、「酷評ほど貴重」では?と思うのですがね。
     ちなみにアラーキーは好きですが、嫌いです。緊縛写真ばっかり。商業的にはいいのでしょうかね。昔は(今もか)ばかちょんカメラで撮られてました。作品よりも撮影行為を重点に置かれていたのでしょう。その撮影行為は好きです。

    Reply
    • YOYO1981
      2015年12月8日

      >haradaさん

      こんにちは。

      今の時代、本当に写真が溢れていますよね。写真の形もあり方も様々だと思います。
      写真が好きな人は簡単に写真を共有することができる便利な時代になりましたけど、確かにその中で個性を出していくことは難しいことかと…。
      それでも、写真に触れることができる機会が多いのはありがたいことで、写真を通じていろんな人と知り合ったりできるようになるのは嬉しい限りです。

      Reply

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