それでも35ミリフィルム写真が好きなのは。
35ミリ判のフィルムカメラを使う場面は以前よりも確実に減っている。
すごく雑な分け方だけど、今の使い分けとしては、手軽に撮る時はPENTAXQ、ちゃんと撮りたい時はK-5かK-01、ここぞという時にはPENTAX67。
こういう状況なので、35ミリ判のフィルムカメラの出番がどうしても減ってしまう。まぁ、だからF3を下取りに出したりしたんだけど…。
それでも完全に手放すわけではなくて、35ミリ判フィルムカメラを使うのに合理的な理由なんて何もなくて、単なる「気分」によるところが大きい。
「良い画質とは何なのか」というのは人によって考えが変わるところかもしれないけど、画質を求めるならやっぱりデジタルか中判フィルムだと思っているし、手軽さを求めるなら小さなデジカメがいいと思う。
でも、定期的に「35ミリ判フィルムカメラで撮りたい気分」になる時がやってくる。
本当はシチュエーションとか、撮りたい雰囲気によって機材を選ぶというのが正しいのかもしれないけど。まぁ、趣味だし。楽しいことが第一なので。
そういう気分になるのも、35ミリ判フィルムカメラを使った撮影とその写真とに魅力を感じている部分がまだまだ残っているから。
で、その魅力って何なのだろうと考えてみるとだいたい2つくらいじゃないかと思う。
それは、小さな機械をいじる楽しさと35ミリ判独特の写真の質感。
手のひらに収まるようなコンパクトな機械をいじりながら、露出を考えて絞りとシャッタースピードを設定したり、ピントの山を探してピントリングをぐりぐり動かすことは、自分が機械を使っているという気持ちにしてくれる。フィルムを巻き上げれば、フィルムが巻かれて、シャッターがチャージされる感触が指先に伝わってくるし、シャッターボタンを押せば、乾いた音とともにシャッターが切れた感触が手のひらに届く。
こういう、小さくてぎゅっと機能が凝縮されているような機械を操るっていうのは、理由はよく分からないのだけど、すごく楽しい。どういう仕組みで動いているのかなんて分かるはずもないのだけど、なんとなく分かったような気になって使うことが(僕の場合)できる。
使ったこと無いから分からないけど、ライカってこういう官能的な部分もすごく考えて作り込まれているからものすごく好きな人がたくさんいるんじゃないだろうか。
こういう機械の凝縮感とか趣味感というか自分に寄り添う感じ(分かりにくい…)みたいなのって35ミリ判の大きさならではだと思う。
こうやって自分で設定して写真を撮ると、僕は失敗もたくさんする。
できた写真には粒状感もあったりするし、もやっとしているようなところもある。でも、それこそが35ミリ判フィルム写真の特徴で、この曖昧さが残っているような感じとか、やわらかい感じといったフィルムの質感が、写真に独特の雰囲気を与えてくれる。
デジタルでも色んなフィルターが用意されていて、インスタグラムとかVSCOとかのアプリでもこのフィルムの雰囲気が念頭に置かれているフィルターが多々あって、人気もある。よく分からないけど、よく解像したクッキリハッキリな写真だけではなく、こういう写真も人は好きだということ。
そういう写真を撮れるのも35ミリ判の大きさならではのことなんじゃないだろうか。
まぁ、プリントはデジタルプリントになるから、昔のようにフィルムの質感とか階調をそのままプリントに伝えるということは困難になっているんだけど、それでも35ミリフィルムの雰囲気はまだプリントにも残っているわけだから、細かいところをあまり気にせず楽しんだ方がいいのかなと最近は思ってる。
フィルムの値段はどこまで上がるか分からないし、供給もいつまでされるか分からない。使えるフィルムカメラもどんどん減っていく。
それでも、やっぱり使い続けるだけの良さが35ミリ判フィルムカメラには十分ある。
これから写真を始めようという人に敢えて35ミリ判のフィルムカメラを選択する人はまずいないのではないかと思うけど、35ミリ判フィルムにも良さがあるので、少しでも多くの人にその良さが伝わるといいなぁと思っている。
そのためにも、自分ももっとフィルムを使って写真を撮らねば…。
とにかくどんどん撮ることが大切。よく言われることだけど。出番が減ってきたとかごちゃごちゃ言っている場合ではないのだ…。