トナカイさんの写真展と生きること

暑く長かった夏がようやく終わった。
最近になってようやく秋らしくなってきたなぁ、なんて思っていたら早くも冬の気配も感じられるようになってしまった。秋はどこに行ってしまったのか。

きっと、あっという間に12月がやってきて、1年を振り返ることになるんだろうなぁ。つい最近、同じことをしたような気がするけど、時間がたつのは早い。

まだ1年を振り返るには少し早いけど、今年は近年で一番厳しい一年だった。いや、今年に限らず、今までの人生を振り返ってみると、僕の印象としては、苦しかったことの方が圧倒的に多かった。
楽しかったことや嬉しかったこともたくさんあったはずなんだけど、そんな時も、「いずれ苦しいときがやってくるんだから」という思いを捨てきれず、いつも心の片隅に不安を抱いていたような気がする。

そんな感覚が生まれてきたのは、中学生くらいからだろうか。テストも部活も駅伝もプレッシャーがとても強かった。「常に全力でやならければならい」「成果を出さなければならない」という強迫観念のようなものがあって、いつも心には不安と緊張があったと思う。

大人になった今、この気持ちはずいぶん和らぎはしたけれど、今でもしっかりと残っている。まだ完全に捨て切れてはいない。

特に迷いが大きくなり、生きる意味が分からず悩んでいた高校生の頃、藁をもつかむ思いで手にした五木寛之の「人生の目的」という文庫本には、出だしから「人生に目的はない」と書かれていた。あの文章を読んだときの落胆は今でも覚えている。今なら、そんなの当たり前だとすんなり受け入れられるけれど、当時は自分以外の何かに答えを求め続けていたんだろうなぁ。

とは言いながらも、今でも迷いがなくなったわけでもなければ、特に小さくなったわけでもない。似たような気持ちを多少なりとも抱えながら生きている。
ただ、その存在にすっかり慣れてしまって、それなりに上手く付き合いながらやっていけるようになっただけだと思う。
それでも、いつも見られているような、何かに常に急かされているような、そんな緊張感を持ちながら生き続けることは、やっぱり少し辛いなと感じる時もある。

そんな緊張感を生んでいるのは、他でもない、自分自身なのだけれど。

「生きることは地獄」トナカイさんは、そう書いていた。

直感的に、「あぁ、そうかもしれない」と思う。でも、心のどこかで「そんなはずはない」と消え入りそうな声でつぶやく自分も感じる。でも、「そんなはずはない」と本当に自分が思っているのか、どこかで見かけた誰かの言葉をそのまま繰り返しているだけなのか、自分では分からない。

そのトナカイさんが「五月の虹」という展示をしていて、全国を巡回すると知ったのはツイッターだったろうか。展示をするのは、生きることは地獄だけれど、僕たちは生きているだけで美しいということを伝えるためだという。すごく気になった。その写真と言葉を目にしたとき、自分が何を感じるのか知りたかった。そして、長いこと脇に置いていた自分の気持ちと再び向き合うためにも見てみたかった。
でも、そのために東京に行く時間を作るのはちょっと難しい。

そうしてモヤモヤ悩んでいたとき、京都の恵文社でも開催し、週末は在廊もされていることが分かった。

週末は、子供の習い事の送り迎えがあったりと何かと忙しく、なかなか時間をとることができない。でも、今回の展示の最終日は祝日の月曜日。予定はない。これは誰かが行きなさいと言っているに違いないと思い、トナカイさんの展示を観に行こうと家族を誘った。

PENTAX67 smcPENTAX67 105mm f2.4 PRO400H
PENTAX67 smcPENTAX67 105mm f2.4 PRO400H

恵文社に来たのは10年ぶりくらいだろうか。

独身の頃はよく来ていたのだけれど、結婚して子供が生まれ、日々の生活に追われるようになると、自然と足が遠のいてしまった。あっという間に過ぎた10年。でも、10年という時間は長い。
昔よく通っていたお店に久しぶりに行ってみたら、ずいぶんと雰囲気が変わっていてがっかりした、という経験は誰にでもあると思う。僕にも何度かある。今回も、あの時と感じが変わっていたらどうしよう、そんな不安と写真展への期待とを抱えながら出発した。

恵文社に着いてみると、以前と変わらない懐かしい光景が出迎えてくれた。不安は一瞬で消え去り、当時と変わらない雰囲気の店内に嬉しい気持ちになる。
ずいぶん前から本が売れないと言われるようになったし、街の小さな本屋さんはどんどん姿を消している。でも、恵文社はそこだけ時間が止まったかのように変わらずにいた。あの、本が好き、という気持ちを形にしたかのような空間。そこが大好きな人が今も変わらず多くいるんだなあ。とても静かで暖かい空間。

トナカイさんの展示は、その空間の中にとても自然に溶け込んでいた。まるで、ずっと昔からそこにあったかのように。そして、多くの人が入れ替わり立ち替わりそこを訪れていた。その情景をながめていると、まるでほんのりと熱が放たれているような感じすらあった。
写真展は人がぱらぱら来るという印象をもっていたので、とても驚く。トナカイさんの写真と言葉を必要としている人はたくさんいるのだ。

ゆっくり、その写真と言葉をみていく。ひとつひとつじっくりと。

しばらくすると、子供がとんとんと僕の肩をたたき、耳元で「つまんない…」と小さな声で言う。写真を見るのではなくて、早く自分が読みたい本を探したいらしい。確かに、子供には必要のないものかもしれないなと思う。でも、僕の心が強く揺さぶられていたのかというと、実はそうでもなかった。ふと横を見ると、目に涙を浮かべながら見入っている女の人が目に入る。

自分が必要としているものではなかったのか、との思いが頭をよぎる。そもそも、今まで何かを観て涙を流したような経験もなければ、雷に打たれたようなと例えるほどの強烈な経験もない。自分は何も感じられない人間なのではないか、とか、何も理解出来ないほどに頭が悪い人間なのではないかと考えたことも一度や二度ではない。ことあるごとにそう思ってきた。そして、今回も似たような思いに囚われそうになる。

ゆっくりと自分の気持ちを確かめてみる。やっぱりよく分からない。分からないけど、胸の奥の方に何かがある。うまく言葉にすることはできないけど、なにか突っかかりのような、遠くの方で扉をノックするくぐもった音のような気配も感じる。

でも、それがどういう感情なのかぜんぜん分からない。ただ、何か思ったことがあるのだろうと想像して、それをゆっくり考えてみようと思い、写真集を買う。

それを持って、トナカイさんに会いに行きサインしてもらう。緊張して何を話せば良いのか分からない。トナカイさんを知った経緯を話したりして、濱田さんの話をしたり。なんで写真の話をしなかったのだろう。あとでだいぶ後悔した。
短い時間だったし、上手くしゃべることも出来なかったけど、トナカイさんの人柄に直接触れられたことはとってもよかった。そのことで、作品への理解もちょっと深まったような気もするから。

PENTAX67 smcPENTAX67 105mm f2.4 PRO400H
PENTAX67 smcPENTAX67 105mm f2.4 PRO400H

僕が展示を観ている間、「つまらない…」と言った子供は、脇のソファに座ったり、店内をウロウロしたりしている。子供はつまらなそうにしてみたり、泣いたり怒ったりすることもあるけれど、だいたいの時間を何かに熱中したり、笑って楽しそうに過ごす。
そういう姿を見ていると、人生には幸福が溢れているのが普通なのではないかと、ここのところ考えるようになってきた。本来そうあるべきなのだと。

そういえば、村上春樹の小説で深く印象に残っている場面がある。
それは、青年が、かつて自分が子供だったころは確かになにものかであったのに、生きることによってなにものでもなくなってしまった、というようなことに思いを巡らせる部分。
この文章を読んだ時、自分はまさにこれだ、同じことを思っていると感じた。

確かに、子供の頃は自分がなにものかであったと感じていたけど、大人になるにつれて、そうは思えなくなり、自分の中身がどんどん空っぽであるかのように感じられ、自分はなにものでもない、何にもなれなかったと感じてしまう。

我ながら寂しい話だなと思う。生きていることで、少しは成長しているはずなのに、実感としてはどんどん逆の感じ方をするようになるのだから。

ただ、子供達をみている影響か、最近になって、本当にそうなのだろうかという気持ちも少しずつ出てきた。自分が空っぽだと感じられるのは自分がそう考え、そんな世界を自分自身で作っているからにすぎないのではないかと。

世界は、今も昔と変わらず、僕にも誰にとっても、素晴らしい世界であり続けているんじゃないだろうか。

展示会を終えて、僕の心に明確な変化が生じたわけではなかった。でも、心の中に暖かい何かを感じられるようになった気がしている。
常に、という訳ではなくて、何かを考えたりしたときに、少し考えればたどり着ける場所に。小さいけれど、確実に。

そして、世界は本当は素晴らしい場所なんだという考えも、少し背中を押してもらえてように感じる。

展示会のあと、トナカイさんが教えてくれた隣のケーキ屋さんで、子供達とソフトクリームを食べた。昔ながらの商店街にあるようなケーキ屋さん。年代を感じる店内だったけど、しっかりと手入れをされている空間からは真っ直ぐさが感じられて、なんだか落ち着いた気持ちになれるお店だった。

店先に立つおばあちゃんから手渡されたソフトクリームは、ほんのり甘くて懐かしい。

幸せは、身近なところにいて、僕たちが振り向くのを待っているのだ。

僕は、それを確かめるために写真を撮っているのかもしれないなぁ。

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