日常の風景が被写体になることについて。
僕自身が写真を撮りだしてからはまだ間もないけれど、写真そのものにはずいぶん興味がった。それは、「なんとなくかっこいい」という程度のものではあったけれど、この「よく分からないけど何か心惹かれる感じ」が今でも写真の魅力であることに変りはない。
この、なんかよく分からないけど何か惹かれるというのを感じたのは川内倫子さんの写真を見た時が初めてだったと思う。たしか、リトルモアから出版されていた「ノーム・チョムスキー」という本の表紙の写真だった。
それは、本当にどこにでもあるようなダイニングの写真なんだけれども、なぜか僕の心に強く残っていて、今でもたまに思い出す。なぜあの場面でシャッターを押したのかも分からないし、なぜ心に強く残っているのかも分からない。
ただ、この写真について考えているうちに(その後の色々な経験もあったからこそだと思うけども)、大切な瞬間や印象的な場面というのは何も特別な場面にだけあるものではなくて、むしろ日常の何気ない瞬間にこそ存在しているのではないかということだった。
もう、今から考えるとそんな大発見のようなことでも何でも無いように感じるのだけれど、当時の僕にとってはすごく大きな発見だった。
それから、なるべくどんな時にもカメラを持ち歩くようになった。
何かのイベントの時ではなく、むしろ普段の生活の一コマを撮ることを心がけてきた。その積み重ねがきっと意味のあることになると信じてシャッターを切っている。
今の僕が撮る写真は、ごく普通のありふれた写真だけど、それなりの時間が経ったときに振り返ってみれば、この写真たちの持つ力が少しでも大きくなるように、少しでもいい写真が撮れるようになりたい。