久美浜は想像以上に素敵な場所だった。
昨日、インスタグラムで知り合った後藤さんが写真展をしている久美浜に行ってきた。
インスタグラムに出てくる久美浜の写真はいつも素敵だったし、行った人もみんな口をそろえて「めっちゃ良かった!!!」と言っていたので、行く前から素敵な場所なんだろうなと思っていたけど、実際に行ってみたらやっぱりものすごく素敵なところだった。
澄んだ空気、風と波の音、高い空と奥行きのある雲。
そのどれもが、すーっと体に馴染んだ。静かにゆっくりと時間が流れていて、「あー、本当はこういう場所で暮らすのが一番なんだけどな」と感じた。
久美浜の空気があまりにしっくり来るので自分でも少し驚いていたのだけど、たぶん、僕の故郷と少し似ていたからだと思う。風の音も波の音も空の見え方もただ素敵だというだけではなくて、どこか懐かしくもあった。浜公園という場所で、海岸沿いに立って海を見ていると、高校生の頃によく海を見に行っていた時の気持ちやその時に感じていた空気と音が蘇ってきてびっくりした。
大学に行ってからはほぼ全ての時間を東京と大阪で過ごしているので、都会での生活が自分の生活になっているけれど、昔は違った。田舎だったから、都会に対する憧れは持っていたけど、自分が過ごす街がすごく好きだった。
朝と夜の静かさ、夏の蛙の鳴き声、冬の寒さ、きれいな星空、そのどれも好きだった。でも、最近は好きだったということをすっかり忘れていた。たまに実家に帰るけど、忘れたまんまだった。久美浜にはほんの数時間しか滞在していなかったのに、色んなことを思い出させてくれたのはすごく不思議。それだけ強く感じる何かがある場所だったのだということだろうか。
小さい頃、お寺の近くにあるグラウンドで遊んでいたら、観光バスから降りてきた男の人が「あー、やっぱり田舎の空気はおいしいなぁ!」と言ったのをきいて「田舎をばかにしている」と感じたことをよく覚えている。その言葉を口にしたくなる気持ちは今ならよく分かるけど、当時はその言い方に小馬鹿にしているようなところが感じられて、そのまま受取ることができなかった。
そして、昨日、久美浜に行った僕は「あー、本当はこういう場所で暮らすのが一番なんだけどな」と感じたわけで、なんとも勝手なもんだなと少しやるせない気持ちになったりもした。でも、そう感じたのは、こういう場所で暮らしているとただそれだけで豊かな気持ちでいられるような気になったから。それは、その地で暮らしていない者の勝手な思い込みであるとは思うけど、ここには大切なものがしっかりと残っているという思いは今も変わらない。
ここ数年、僕はよくイライラしていたし、時間に追われてばっかりいたように思う。そして、限られた時間の中でいかに効率よく物事をこなしていくかが全てであるかのような考えになっていた。そういう考えの全てが誤りだというわけではないと思うけど、それだけでは大事なものが欠落していると、最近になってようやく考えられるようになってきた。
その大事なものを、後藤さんの写真や久美浜という場所が少し教えてくれたように思う。自分の身近なものを大切にする気持ちもそのうちの1つ。
久美浜には必ずまた行きたい。
写真は、久美浜にあるBshopから撮ったもの。ホテルは改装中(というより建設中)で、木を切ったり金槌をたたいたりするような音が山の中に響いていた。このホテルがオープンしたらぜひとも泊まりに行きたい。