大切な物への気持ち。

Posted by on 1月 23, 2014 in DA35mm Macro Limited, K-5, LIFE, PENTAX | No Comments
PENTAX K-5 smc PENTAX-DA 35mm F2.8 Macro Limited ISO160 f4 1/250

PENTAX K-5 smc PENTAX-DA 35mm F2.8 Macro Limited ISO160 f4 1/250

三輪車には自分も小さい頃に乗っていたはずなんだけど、ほとんど覚えていない。
唯一覚えているのは、三輪車を他の誰かにあげた時のこと。
三歳くらいの時に、母親の友達の小さい子供にその三輪車をあげるという話になり、僕は運ばれていくのをただそばで見ていた。

人にあげようという話になるくらいだから、その頃にはあんまり三輪車には乗らなくなっていたんだろうとは思う。でも、自分のものが持って行かれてしまうというのがすごく悲しくて、でも決まったことだからどうしようもないし、と思って寂しい気持ちを我慢していたことだけ覚えている。

小さいときの記憶なんてほとんどないのだけど、なぜかこの三輪車の下りだけはその当時の気持ちをよく覚えているから不思議。
「泣かなくてえらい!」とほめられたけど、本心はすごく悲しくて必死で我慢していたという記憶もあるし、この件はやたら記憶が鮮明。
なんで覚えているのかはよく分からないけど、考えてみれば、小さい子供にとっておもちゃとか三輪車っていうのは、生まれて初めて「自分のもの」として愛着をもつ、大切な物。それを人に渡すのだから、だいぶ寂しかったのではないかと。

 

物を捨てることに対してあまり抵抗が無い人も多いと思うし、僕も今は思い切って捨てることの方が多い。ただ、それは裏を返せばその物に対してあまり愛着を持っていないから、ということなのではないか、とも思う。
でも、この子供の頃の件のことを考えると、人って自分のものに対しては愛着を持っていて、できればそれを手放したくないと思うのが自然なのではないかと思える。所有している時間が長ければ長い程愛着がわくはずだし。

まぁ、時代が時代だけに、欲しい物はいつでも手に入るし、安くでそこそこの物もたくさんあるから、また買えばいいかー、なんてことにもなりがちなんだろうけど。
やっぱり、普段使う日用品から趣味の道具まで、長く使うはずのものはしっかり好きな物を選んで長く使いたいと思う。
長く使って、その道具が自分に馴染んでくるというか、人生の一部のような存在に感じられると、思わずニンマリしてしまうような瞬間が出てくる。そういうことの積み重ねこそがきっと大切なんだと今は思っている。

 

自分の子供がどういう気持ちで三輪車に乗ってるのかは分からないけど、少なくとも自分のものだっていうことは認識しているみたい。
まだまだ何も分からない年頃ではあるけど、この三輪車がものに愛着を持つこととか大切にすることを考えるきっかけになればいいのだけど。

 

 

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