字は人柄を表すかもしれない。
これほど今更感があるものもなかなかないだろうけど、32歳にして「字の練習」を始めた。
去年からちゃんと練習を始めたいなと思っていたのだけど、なかなか取りかかれず、ようやく今年から始めることに。
とりあえず始めてみたのは、日本習字のペン字講座(通信)。パンフレットには「正しい文字・美しい文字」というキャッチコピーが書かれている。
始めて1週間ほどたったので、感想などを少し。
まず、痛感したのは、普段の姿勢の悪さと集中力の無さ。
楷書でお手本どおりに書こうとすると、なぜかちゃんとした姿勢でないと書けない。椅子に浅く腰掛けたり、背筋曲がってたり肘をつきながらとかだと、どうしてもちゃんと書ける気がしない。なんでか分からないけど。
そして、10分もやってると腰やら背中やらが少し辛くなってきてしまう。集中力も散漫に…。
考えてみれば、普段の生活で、「正しい姿勢」ってあんまり意識していなかった。家ではソファーでのんびり座ったり、椅子に座っていても脚を組んでたり。仕事中も背もたれにもたれたり、脚を組んだりと…。
不思議なもので、姿勢をぴしっとすると気持ちも自然と引き締まるもので、自ずと集中もできるようになる。そういえば、すごく集中して何かをするということも大人になるにつれて減ってきた。今ではファインダーのぞきながらマニュアルフォーカスでピント合わせてる時くらいしか集中している時はなかったかもしれない。
大人になってからというもの、案外、「なぁなぁ」でなんとかなってしまうことって多かった。必死になったりものすごく集中して何かをやりきらなくてもなんとかなったりする。
でも、そういうのって充実感も達成感も無い。ただ過ぎて行くだけのもの。そして、それに慣れてしまうと「なぁなぁ」であることに違和感すら感じず、それが普通になってしまう。
僕はそういうのは嫌だとずっと思っていたし、そうならないように、とも思っていたけど、気がつけばそうなってしまっていたようだ。
「それの何が悪いのか」と言われてしまいそうだけど、やっぱり僕は夢中になれるものとか必死になれるものが無いと面白くないと思うので。人生が。
そうならないためには、周りや大きな流れに流されるのではなく、自分が本当にやりたいとやるしかなくて。そのためには、少しでも自分だけの時間、自分と向き合う時間がやっぱり必要。
まぁ、これって写真を撮ることを考えてたときと同じなんだけど。
字の練習をしているときも、写真と同じで、向き合ってるのは結局のところ自分自身みたいだ。
雑念は特にすごく出る。てきめんに。字に人柄が出るのはやっぱり本当だなと改めて感じた。
上手な字が書けるようになりたいなーと思って始めたペン字だけど、最初に感じたのは、上手く書くこつとかじゃなくて、こんなふわっとしたこと。
字にはきっと自分の考え方とか人柄が出る。どういう字を書きたいのかまだよく分からないけど、今よりもまともな字が書けるようになるころには、性格も多少は変わっているかもしれない…。
とりあえず、毎日少しずつ書いてみようかな。