あなたはどんな写真を撮りたいですか。
今日、Twitterを何気なく眺めていたら、タイムラインに流れてきた言葉に目が釘付けになった。
そこには、僕がずーっと考えていたこととほぼ同じようなことがはっきりとした言葉で表現されていた。頭で考えてはいたけど、その実態がつかめなくて、常にぼーっとしていて、あやふやな感じだったイメージ。「そうそう!まさにこれ!」っていう感じで見入った。
目が釘付けになったきっかけのツイートに
「写真に写っているものが人物であれ植物や風景であったとしても、その写真を撮るときの、撮影者のまなざしが写真に写ってきます。」
というのがあった。
自分の写真のどこに自分を感じられるかというとやっぱり自分の視線が写真に残るからじゃないかなーと考えていたところだったので、「あ!一緒!」と思ってビックリした。
そのTwitterはここでまとめられてる。。
佐藤正明さんという写真家。ぐさっとくる言葉をTwitterでよくつぶやかれていて、その度に見入ってる。
こういうことってこれまでもずーっと考え続けていたことではあったんだけど、毎日の忙しさにかまけてつい忘れてしまっていたり、何かの拍子に違う方向に考えが進んでしまったりして自分でも何をどう撮りたいのか分からなくなることがしょっちゅうある。
最近もそういう感覚に陥っていて、もう何をどう撮りたいのかも分からなくなってカメラに手が伸びにくくなっているところがあった。そうなるとブログの更新もままならなくなるわけで、ここのところ何も書けないでいた。
「ところで、あなたらしい、あなたの視線が感じられる写真ってどんなですか?
いや、言葉による補整は要らないから、写真だけを見せてくださいよ。」
このツイートをみて、ギクー!ってなった。
そういえば、僕が撮りたい写真ってどんなんだったっけ。なんかキャプションに逃げてるところがあったんじゃなかったっけ、毎日何を見てるんだっけ…。シャッターを切ろうと思った瞬間、何かを感じていたはずだったけど、それはどんな気持ちだったっけ…と考え込んでしまった。
最近、撮る写真の9割は子供の写真。別にそれはそれでいい。でも、子供たちの何を撮ろうと思ってシャッター切っていたのだろう。
日々の成長だとか、何気ない毎日だとか、確かに素敵なことなんだけど、撮りたいものとはなんかちょっと違う。
いや、どういうものかを言葉で色々と書き綴るのもなんか違う。どういう写真かはとりあえず置いておいて、その写真を見た時にちゃんと自分の視線や気持ちを感じられる写真を残していきたい。
最近は特にそれが出来ていなかった。なんとなく撮ってる感じが強くて、自分の中の違和感がどんどん大きくなっていったんだと思う。ファインダー覗かずにパチパチ撮る回数が多すぎたのかもしれない。
なんか写真を撮りたい気持ちがあまり大きくならないなーと感じるときは、自分が何を撮りたかったのかが分からなくなってることがほとんど。
そういう時は、ちょっと立ち止まって、振り返って考えてみるしか無い。自分はどんな写真が撮りたかったんだっけ、と。
そうやった振り返ってみたら、あとはとにかく撮る、確認する、の繰り返し。
こういうことを考えながら写真撮ってるんだけど、余計なことを考え過ぎかなぁ、あまりごちゃごちゃ考えずにただ撮ればいいだけかなぁ、とか考えたりすることもあるんだけど、なんかそういう性分らしいからもうしょうがない。考えずにはいられないみたいなんで。
自分が見たまま、感じたままを写真にするのは確かに難しい。こういう撮り方をしたらこういう風に写りますよ、という技術的な問題というのももちろんあるんだけど、それは基本としつつもなんか結局一番大事なことってそこじゃないんじゃないかと思う。
気持ちの部分がすごく大きいというのもあるんだけど、そういう気持ちで撮れるということも含めて、なぜか僕の場合は光学ファインダーを覗きながら写真を撮った方がイメージに近い写真が撮れることが多い。気持ちとか思い込みの部分が大きいと思うけど、ファインダー覗きながら撮った方が被写体とちゃんと向き合えるからじゃないかと思う。
そうやってファインダー覗き込みながら、どんな写真とりたいんだっけ、と頭の片隅で考えてみるのもいいかもしれない。
2 Comments
usk9999
2014年9月22日お邪魔します。
いつも楽しみにブログ&Flickr拝見させて頂いております。
今回のエントリー、自分も常々考えている事と重なる部分があったのでタイトルに返答させて下さい。
Flickrを見てもらえばわかっていただけると思いますが、僕の被写体はほぼ息子(時々奥さん)です。
ある時期、なんで息子を撮るのだろう?という疑問が頭に浮かぶことがありました。
そこで考えたのですが、僕の場合は子供が同性なので、恐らくそこに幼き自分を見ている部分があるんだろうなと。一種のノスタルジーを投影しているんですね。息子が僕の幼いころによく似ていることもあり、たまにファインダーごしに息子を見ていると自分を撮影しているような独特の感覚に襲われることもあります。
それに加えて、やはり当たり前ですが愛情ですよね。好きだから撮るという事ですね。
良い写真の条件の一つとして(絶対条件では無いと思いますが)撮影対象に対する関心、愛情、欲望等のある種の思い入れがあるということは重要なのは言うまでもないでしょうし。そういう意味では良い写真を撮るのに、対象として自分の子供は最適とも言えると思います。
ただその愛情の写真への表れ方のさじ加減が難しいところで、ちょっと引いて見ている、観察しているような距離感が無いと、ホントただの家族写真(それを卑下する意味では無いです)になってしまうなと。
そういった距離感をとることが上手くいけば、その写真を見ている人の年齢、国籍関係無くノスタルジーや情感を感じ取ってもらえる様な、ある種の普遍性を写真に加味出来るのかなと考えています。
なので、エントリータイトルに対する返答をさせていただけるとすれば、「国籍や時代を超えたところで人の心を揺さぶる写真が撮りたい」といったところです。
YOSUKEさんの写真からは被写体に対しての細やかな愛情を感じます。娘さんは表情も豊かでとてもフォトジェニックですね。これから残される写真を楽しみにしております。
とりとめのない長文失礼いたしました。
YOYO1981
2014年9月22日>USK9999さん
コメントありがとうございます。自分の文章を補足していただいたような感じですごく嬉しいです!
僕もいつもFlickr見させてもらってますが、どれも本当に素敵な写真ばかりで、毎回楽しみにしています。
おっしゃるとおり、被写体との距離感というのはすごく重要だと思いますし、そして難しいと思ってます。撮りたいと思う気持ちと、どこか冷静に客観的に見る部分の両方がないと、誰かに伝えるのは難しいのかもしれません。
写真は言葉を超えて伝えたり共感できたりすることが他にはない魅力だと思いますし、僕も多くの人と気持ちを共有できるような写真を撮れるようになりたいと思ってますが、その具体的な写真像がぼんやりしていてずっと探し続けているような感じです。
これからもコツコツ続けていこうと思ってますので、つたない文章と写真ですが、これからもよろしくお願いします!