自分の知らない子供の成長。
先週、七五三の祈祷をしてもらうため近所にある神社に行ってきたのだけれど、少し離れて見ていると3年という時間の早さとその間の成長に、想像していた以上に驚いてしまった。
神主さんに言われるがままながらも、言われた通りにちゃんとお祈りしてる姿を見たりしていると、自分が思っていた以上に大きくなっているんだということがハッキリと感じられて、寂しさを感じてしまった。
子供とは毎日顔を合わせて話をしていても、僕の知らない一面がある。いや、きっとあるんだろうなぁ、くらいにぼんやりと考えていた。
当然だけど、保育園で過ごしている時もどんな態度でいるのか知らないし、「知らないところで頑張ってるんだろうなぁ、よしよし」みたいなどこか偉そうな感じだったと思う。保育園の連絡帳を読んでいると、家で見ている姿からはちょっと想像がつかないくらい頑張っているように書いてくれていたりする。そういう内容を読んでいると、自分が知らないだけで、少しずつでもできることが増えてきているということを嬉しく思っていたし、3歳といってもすでに親の知らない部分もあって、しっかり成長してくれていることに安心していた。
でも、実際に目にすると嬉しさよりも先に驚きや寂しさのような気持ちが先に感じられて自分でも少し驚いた。
嬉しさもあったけど、想像していたような類のものではなく、時間をおいてじわじわとこみ上げてくる感じ。
子供のこと、いろいろ見ていてなんでも知ってるような気でいたけど、3歳にして早くも知らないところがあるんだなーという現実をまざまざと見せつけられた。
でも、写真でも似たような気持ちになることがある。
出来上がった写真を見てみたら、自分が思っていたのとは違う雰囲気で写っていること。
「お、意外にいい感じで撮れたなぁ…!」という感じじゃなくて「あれ、こんな表情もするんだったっけ…?」というような、自分の知らない一面が写っていること。
いや、表情というか、雰囲気。
そういうことがちょくちょくある。
そういう写真が撮れていると思わず見いてしまったりするのだけど、写真で見ているときはなんだかすごく嬉しい。
貴重な瞬間を残せたと感じるからかもしれないし、単純に予想外の写真を面白がっているからかもしれなくて、一言では言い表せないのだけど、そういうハッキリとしていなくていろいろ入ってるところがいい。
七五三の時に感じた気持ちは象徴的なものだけど、似たような小さなことっていうのは日常の中に案外多く潜んでいるはずで、そういう写真を僕はたくさん撮りたい。
今は偶然写っている、ということがほとんどなんだけど、それをもう少し分かって撮れるようになるといいんだけど、どうしたらそうなれるのか今はさっぱり分からない。