子供と向き合って写真を撮れたかな。
子供が生まれてから、自分が子供だった頃をよく思い出すようになった。
今まで忘れていたような、些細なことであっても、ふとした瞬間に蘇ることがよくある。なんでこんなことを覚えているのだろう、と自分でも不思議に思うような、つまらない内容のこともあったりするけど、きっと子供なりに印象が強かったからなんだろうなぁ。
今から考えてみると、なんであんなことにあれほど必死だったのかと首をかしげることもあるけど、子供の自分にとってはすごく大切に感じていたことはたくさんあった。
子供の頃は、世界が狭かったからというのもあったけど、やっぱり身の回りのことが全てみたいなところがあったんだろうなぁ。
だからかどうかは分からないけど、子供に対してはきちんと向き合って話をしたり遊んだりしたいといつも思っている。ちゃんとできていない時の方が多いかもしれないけど、子供だからといって、甘く見ていたりするとちゃんと見抜かれてしまう気がしている。
全てを見抜かれているかどうかは分からないけど、子供に「あー、この人は自分を子供だからといって甘く見てる」というように感じられると、ちゃんと話をしてくれなくなるという考えが僕の中にはあるからだと思う。
これも、自分のおぼろげな記憶がベースなので、人によって考え方は違うとは思うけど。
ただ、自分が子供だった頃のぼんやりとした記憶の中では、「この人は子供向けに話をしているな」と感じると「自分が子供だから、こう言っているだけで、本当は違うことがあったりするんじゃないか」と疑ったりしていたことがよくあった。
今から思うと随分と生意気なもんだ。
ろくにしゃべれもしないくらいの子供だったとしても、誰でもちゃんと自分なりの考えがある。うまく伝えられない、表現できないだけで、頭の中では必死に色々考えているのだから、そういう気持ちは尊重したいなと思っている。
誰でも、大人になる前は子供だったわけだけど、いつの間にか子供の頃のそういう気持ちとか考え方みたいなものはその多くを忘れるなり、心の奥底にしまいこむなりしている。それは当たり前のことだし、僕もほとんど忘れていた。
子供の話す言葉や行動から、「そういえば自分が子供の頃はこう思っていたな」とか「こういう行動をとる時はこう思っていたんだよな」というようなことを思い出すようになった程度。
子どもの頃を思い出した時というのはだいぶ不思議な感覚で、30年越しくらいに当時の自分が大人からどんな風に見られていたのかに気づく瞬間でもあり、自分が子供の頃を思い出して懐かしくなる瞬間でもある。
それは、おやつを食べている時だったり、テレビを見ている時だったり散歩している時だったり。なんでもない瞬間であるようにも感じるけど、そういう瞬間の中に大切な時間というのは潜んでいる。なかなか気づくことはできないのだけど、そういう瞬間を少しでも多く残していきたいと思って、僕は毎日毎日シャッターを切っている。
そういう時間が積み重なる中で、自分が気づいていないところで多くの人に支えられていたことに考えが巡ったりもする。子供を育てているつもりが、子供からたくさんのことに気づかされているわけで、自分の方が多くのものをもらっているのかもしれないなぁ。
家族だけでなくて、身近な多くの人から自分が気が付けなかっただけで、たくさん気にかけもらって今に至っているということは、言葉では分かったような気になっていたけど、今になってようやく実感できているような気がする。
それでも、忙しさや心の余裕のなさから、こういう大事なことを忘れがちだったのが2015年という一年だったかもしれない。
よく怒ったりもしたもんなぁ。
写真を撮らせてくれる相手に、毎日に感謝しつつ、来年もたくさん写真撮れたらいいな。