写真が分からない、と思ったら。
かつては、街にたくさんあった写真屋さんも随分と数が減ってしまったようだし、フィルムを受け付けてすぐにプリントしてくれるお店はもっと少なくなった。
フィルムを使う人がものすごく少なくなったから、機械を維持するコストが賄えなくなったからということらしい。
カメラの新製品はほぼ全てがデジタルカメラだし、フィルムはどんどん値上がりするし、種類は少なくなるしで当たり前のことではあるのだけど。
それでもフィルムを使って写真を撮るからには、プリントのことだって色々と考える人が多いと思う。僕自身もあれこれと悩みながらここまで来たし、今も悩み続けている。
フィルム現像してくれるお店は確かに少ない。でも、しっかりと考えて丁寧に対応してくれるお店は意外とたくさんあって、どこにお願いすればいいのかむしろ決められなくて悩んだりする。
本当は、面と向かって話ができるお店が近くにあって、足繁く通えればいいのだけど、なかなか難しい。お店が近くになかったり、あったとしても行く時間が取れなかったり。
写真屋さんに言って、写真が好きな人とあれこれ話をするのはそれだけで楽しいものだし、その会話の中から気づくこともある。
シャッターボタンを押すのは自分だけど、写真は自分一人で撮っているものではないのだと思う。
デジタルで写真を撮るようになって、撮影から仕上げまでを全て自分でできるようになったから、PCの前にへばりついて写真と向き合う時間がものすごく増えた。
でも、やっぱり自分の頭の中だけだと限界があるなぁ、とよく思う。
それに、それだけだと楽しさが半減する。
誰かと話をしていると、自分一人では思いつきもしなかったようなことを閃いたり、もやもやしていたものがスーッと取れたりすることがよくある。誰かに指摘されることで初めて気づくことだってたくさんあるはず。
だから、写真は誰かと共有しながら撮ったり見たり会話したりすることが一番なんじゃないかなぁ。
以前、しょっちゅう顔を出してたナベカメでは「この写真撮った時どんな色やったん」とか店長に聞かれながら答えてる場面によく出くわしたりしたし、いろんな色味を出してくれて、「どっちがいい?」と質問されたりもよくあった。
実際にそういうやりとりを交わすと、自分が撮ろうとしていたのは何だったのか、どいういう写真にしたいのか、ということとしっかり向き合うことになる。その時に初めて、何も分かっていなかったことをはっきり自覚することができる。その瞬間まで、根拠もなく、自分は分かっているつもりでいたのだけど。
そういう時は、頭でいろいろ考えているつもりでも、言葉に出して説明しようとしてもうまくいかない。
自分以外の誰かに伝わるように説明しようと思ったら、かなり深く理解していないとすらすらと分かりやすく説明することなんてできない。
誰かと会話することとは、自分は何も分かっていなかったということに気づく良い機会だ。
写真を撮っていて、行き詰まりを感じたらどうしていますか。
魔女の宅急便を子供とたまに観るけど、スランプに陥って絵を描けなくなった時はひたすらもがく、それでもダメなら描くのをやめる、というセリフがあったと思う。
写真も同じかもしれない、と見るたびに思う。
どんなに撮ってもなんか違うなー、面白くないなーと感じている時、撮るのをやめると、しばらくしてまたふつふつと撮りたくなってくる。
でも、そういう時は、誰かと話をするもいいかもしれないなと思う。
とにかく撮って、それを形にして、それを見てもらうこと、話をすることで自分が何を撮りたいのかがおぼろげながら見えてきたりすることもあるわけだし。
写真は楽しい。
でも、それだけじゃない。
どういう写真を撮りたいんだろう、それはどうしてなんだろうって考えずにはいられない。
定期的にやってくるこの問答。
この問答がやってきたということは、自分の中で何か引っ掛かりがあるのかもしれないなぁ。
仕事が忙しかったり、休みの日もなかなか時間が取れなかったりするものだけど、行き詰まりを感じた時は、写真のことを誰かと話す時間を取ってみるのもいいかもしれない。