私写真。
すごく個人的な感覚ではあるんだけど、誰かと共有したい写真とできれば自分の中だけに置いておきたいと思う写真っていうのがある。まぁ、自分だけでなくてもいいんだけど、家族とかごく限られた中だけというような意味で。
写真の楽しいところは、写真を撮って、それを見てもらってそれについて話をしたり、時には喜んでもらったりすることにあるというのは間違いない。ただ、やっぱりそれだけじゃないよなー、と最近思い始めていて。
売られている写真集の中には、いわゆる私写真というものもたくさんあって、僕の感覚だとアラーキーの「センチメンタルな旅・冬の旅」藤原冥砂の「もう、家に帰ろう」とかがイメージにぴったりくる。
こういう写真って、その人にしか撮ることができない写真で、撮影者と被写体の関係性も濃いものになるからか、すごく魅力的な写真が多い。
写真にも風景写真とか動物写真とか花の写真とかポートレイトとかたーくさん種類があるけど、被写体との関係性が最も写真に現れてくるのが私写真におけるポートレイトだと思っている。
だから、写真を見ていて心にぐさっとくるのはほぼ私写真だと思う。
アイデア、構図、露出、現像といったテクニック的な部分に対してすごいなーと感じるものってたくさんあってそれもすごいことなんだけど、心に残る、響くものっていうとやっぱり圧倒的に私写真の類の写真になる。
まぁ、これは、単に僕自身がそういう写真に興味があるからなのかもしれないけど。
「写真なんて、レンズを通してフィルムに光を当てた結果できるもの、ただそれだけ」なんていう考えを持っている人もいるらしい。それ以上でもそれ以下でもない、と。いやまぁ、確かに物理的にそういうものなのかもしれないけど、こういう私写真というものを見ていると、「いや、やっぱり目に見えない何かが写っている」っていう気になる。
誰だったか忘れたけど(アラーキーだっけ?)、「写真は撮影者と被写体の関係性を写すもの」なんて言っているのを本か何かで読んだ記憶があって(曖昧すぎてすみません)、その時は「へー」程度にしか思っていなかったことだけど、なんとなく分かるような気がする今日この頃。
もちろん、関係性なんて直接目に見える訳じゃないんだけど、写っている人の表情とか、場所とか色んな写真の中の要素から感じられるはず。
そういう、直接的に伝わる感じではなくて、なんとなくジワジワ伝わるような雰囲気の写真が好きで、そういう写真が撮れるようになりたいなとはいつも思っているんだけど、もうぜんぜんダメ。
この点については最近は完全に袋小路状態。
距離感とかアングルとか構図の問題ではない気がしていて。なんなんだろう。シャッターのタイミングかなー。それとも気の持ちよう?あー、分からぬ…。
僕がいつも見ているブログを書いている山田さんことオットさん(最近、本ブログを紹介してもらえました!ありがとうございます!)が切り取ろうとしている嫁さんの表情についての考え方も似てるかなーと。やっぱり自分だからこそ撮れる写真ってあるわけで。撮るならそういう写真を撮りたいなと思ってるんだけど、難しい…。
どうやったら思うような写真が撮れるのか、試行錯誤の日々は続く…。
2 Comments
オット
2014年4月19日「センチメンタルな旅」 も 「もう、家に帰ろう」 もすごいですよね。僕も大好きです。
結婚して写真にハマり込んでから図書館に通って 「センチメンタルな旅」 を見て、嫁の前で僕は泣きましたもん(笑) 今もまだなんか心の中でくすぶってる感じですけど。
僕も基本的に、そういった感じの本とか写真が好きで、格好いい写真や綺麗な写真よりも、長く見れちゃうタイプです。
でも僕もテーマみたいなものはなんだかふわふわしています。気持ちとしてはストリートと私写真が混じったような感じにしたいなと思っているっぽいんですけど、結局のところ楽しければいいやという感じで好きにやっています。
いつか大阪行く機会があれば飯とか行きましょう。
たらたら酔っ払って、ストリートで撮るのってスイッチが入るとかなり面白いですもんね。
YOYO1981
2014年4月19日>オットさん
やっぱり写真は楽しんでこそですからねー。そうやって続けた結果が何かの形になればいいなと思ってます。
あと、写真は「狙った感」が無い方が好きですねー。まぁ、そういう風に見せるのもテクニックの一つなのかもしれませんけど、そういう写真の方がいつまでも見てられる感じありますよね。
こちらに来る機会があればぜひ!酔っぱらいながら写真撮ったことはほとんどないので、ちゃんとピント合わせる自信ないですけど笑。