地震のあとで。

Posted by on 6月 30, 2018 in K-1, LIFE, PENTAX, smc PENTAX-DA* 55mm F1.4 SDM | No Comments

いつもと同じ朝だった。
朝起きて、朝食とお弁当の用意をし、いつものように「時間がないなぁ…」と思いながらコーヒーを急いで飲んだ。

子供を保育園に連れて行き、いつものようにタッチしてバイバイ。

靴を履いていた時に、屋根から、「バリバリバリ!!!」というものすごい音が聞こえた。

何かが落ちてきたのかと思い、急いで外に出てみて初めて地面が揺れていることに気づく。しばらくすると、あの緊急地震速報のアラーム音がそこらじゅうで鳴っているのが聴こえてきて、大きな揺れの地震なのだと分かった。

 

震度6弱。

 

グラグラと大きく揺れていたから、少しふらつくほどだった。
揺れは数秒で止まったけれど、まず何をしたらいいのかが分からない。完全に同様していた。

ものすごく大きく揺れた、でも保育園にも、見える範囲のどの建物にも、何も被害が見られない。こういう時、まず何をしたらよかったのだろう。頭が真っ白になる。

非常事態であるはずなのに、体はいつもの生活を続けようとしている。

保育園は大丈夫そうだし、迎えに来ることになるかもしれないけど、とりあえず一度家に戻ろうか。でも電車は確実に止まっているだろうから、仕事に行くのは無理だな。

あの時、自分の頭で考えられたのはこれくらいだったと思う。

 

PENTAX K-1 smc PENTAX-DA* 55mm F1.4 SDM ISO100 f8 1/750

PENTAX K-1 smc PENTAX-DA* 55mm F1.4 SDM ISO100 f8 1/750

 

家に戻ってすぐ、保育園から、できるだけ迎えにきて欲しいと一斉連絡がくる。
当たり前だ。あんなに大きな地震があったのに、いつもどおりの生活ができるはずがない。でも、自分もどうしたらいいのか分からず、地震が起きた直後に子供を迎えに行こうとしなかった。大きく揺れたけど、被害もなさそうだし大丈夫かなと思ってそのままいつもの生活を続けようとした。

あとになって考えてみれば、すぐに子供を迎えに行って一緒に帰ればよかったのに。僕のほかにも、仕事に行こうという会話をしている人もいたし、みんな混乱していたのかもしれない。

 

迎えに行った時に初めてガスが止まっていることを知る。
しばらく調理できなくなるかもしれないと思って、朝から空いているスーパーに寄ってみたけど、閉まっていた。この時点で朝の8時40分くらい。地震発生から50分くらいだった。そのままコンビニへ行くと、特に人が集中しているわけでもなく、店内の品数もいつもどおり。

ただ、店員さんの話が漏れ聞こえるところでは、揺れたせいで、バックヤードがずいぶん散らかっているようだった。

家には2リットルのペットボトルが1箱分ある。足りなくなることはないだろうと思いながらも2本買い、おやつとお昼ご飯などを少し買う。隣ではペットボトルの水を大量に買っている人。あのあとすぐに売り切れたのだろう。

家に帰ると、今度は小学校から休校になるから迎えにきて欲しいと連絡。
長女が登校中か登校直後くらいのタイミングで地震が発生していたので、怖がっているのではないかと心配して急いで迎えに行く。
開口一番、

「プール楽しみにしてたのに…!」

登校中で歩いていたからか、揺れをあまり感じなかったらしい。

 

帰ってきて、ニュースを改めて見る。
公共交通機関が止まっている、ガスが一部で止まっている。電気も大規模停電が起きている。道路の陥没とか、断水とかのニュースが流れていて、地震の大きさが徐々に実感として出てくる。

自分の家では、水道の水は少し濁っているけど、しばらくすると濁りは判別つかない程度になったし、ガスも復旧ボタンを押したら回復。電気は全く影響なし。家具も何も倒れていなければ、物が落ちるということもほとんどない。生活の範囲内で、建物の倒壊などは見当たらない。

すごく揺れたけど、生活面の被害はあまり大きくないような感じがする。
でも、なんだか胸の奥の方がざわつく。今この瞬間はいつもとほとんど何も変わらない。でも、本当は違うはずだ。大きく揺れたけど、目に見えるものはほとんど変わっていない。何かが大きく変わっているはずなのに、それが何なのかがはっきりと分からない。

大変なことが起きたはずなのに、目の前の光景はいつもと変わらない。

あのときは、それが不安なのか何なのかも分からず、ずっとただそわそわしていた。

また揺れたらどうしよう、今度はもっと強いかもしれない。そうしたら、今度こそライフラインが寸断されるかもしれない、そうしたら大変なことになる…。

たぶん、そんなことをずっと心配していたのだと思う。

そうは言っても、お店はどこも開いていないし、何も買い揃えることはできない。今あるものでなんとかするしかない。

このまま揺れなければ、物流もすぐに回復するだろうから、2、3日もすればいつもの生活が戻って来るはずだ。でも、その前にもう一度同じ規模の揺れが来たら?今は大きな被害はないかもしれないけど、今度はきっとそういうわけにはいかない。
大きな地震の後だけど、今はほぼいつもどおりの生活が送れている。でも、この生活は薄氷の上に成り立っているものだという現実が、目の前に突きつけられている。

すごく近い未来、今の生活が失われてしまうかもしれない。その可能性をはっきりと示されている。その事実が、胸の奥の方でうごめいている。今何をすれば良いのかがよく分からず、何をしようとしても手につかない。

日頃の備えをおろそかにしていたツケなんだろう。

南海トラフもいつきてもおかしくないと言われているし、今となっては、いつどこでどんな地震がきてもおかしくない。でも、実際に揺れてみて分かったのは、心のどこかで自分のところは大丈夫と思っていた、ということだった。

だから、地震が起きたらどうするか、何も考えられていなかったし、備えだって微々たるものしかしていなかった。

 

PENTAX K-1 smc PENTAX-DA* 55mm F1.4 SDM ISO100 f2.8 1/125

PENTAX K-1 smc PENTAX-DA* 55mm F1.4 SDM ISO100 f2.8 1/125

 

翌日、学童保育から連絡があり、「明日、学校は休みですが、学童保育はします。利用されますか?」ときかれた。
地震直後なので、仕事もやることが多く、それは助かるなと思う一方で、「僕と妻の二人が仕事で大阪市内にいるときに、また揺れたらどうしよう。きっと帰れないから迎えにいけない」という不安が頭をよぎる。

移動距離は20キロ弱ある。歩けば、数時間かかる距離だ。

当たり前だと考えていた生活は、様々な条件の上に成り立っているのだということを、災害が起きて初めて実感する。こんな生活でいいのか、という考えが何度も浮かんだ。

都市とは人類が発明したものの中で、最も偉大なものだ、というようなことをテレビか何かで見かけた記憶があるけれど、都市の生活は色々なことがうまく回る前提で成り立っている。

いや、都市だけに限らない。地方であったとしても、家と職場が遠く離れていることなんてよくある。今の時代、災害が発生して、いつものインフラが機能しなくなるとたちまち生活が困窮してしまう。

 

僕たちは今、とても便利な時代に生きていると思っていた。

でも、その便利さは思っていた以上に脆弱だし、本当に便利なのかどうかもよく分からない。そして、そのよく分からない便利さに依存している自分は、とても弱い存在だ。

 

余震も落ち着いて来て、すっかりいつもの生活が戻って来た。
それでも、やっぱり心の何処かに何かが引っかかり続けている。地震のあとで、色々考えて見たけれど、その引っ掛かりが何なのかが今もよく分からない。

 

 

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