今だからこそ撮れるもの
気がつけば、夕方18時頃には夕日が見られるようになったし、蝉の鳴き声もほとんど聞こえなくなっている。
もう夏は終わろうとしているし、秋の気配はそこらじゅうに感じられるようになった。
今年の夏前に職場で異動があってからというもの、あまりにも忙しくなってしまい、すっかりブログを書く時間を確保できなくなってしまっている。
平日に残業したり、週末に出勤したりなんて何年ぶりだろうか…。
今でも状況はほとんど変わっていないけど、余裕のない状態にだけは少し慣れてしまったのかもしれない。
そんなもの、全く慣れたくなんてないのだけれど。
1日1日をこなしていくのに精一杯で、とにかくやらなければいけないことにひたすら追われ、毎日気を失うようにして眠り、朝は体を引きづるようにしながら目覚ましを止めに行く。そんな毎日の繰り返し。
結局、自分のペースを取り戻せないまま、4ヶ月が過ぎてしまった。
そのせいか、今年の夏の記憶があまりない。
今年の夏は一体何をしていたのだろう。
それでも、なんだかんだで写真だけは暇を見つけては撮っていたようだし、PENTAX Q-S1は毎日持ち歩いていたから、データを見返すと少し記憶が蘇ってくる。
あんまり覚えてはいないけど、確かに今年も夏はあったのだ。
そういえば、夏季のオリンピックがあったんだった。錦織くんかっこよかったなぁ。バスケット男子はどこが優勝したのかを知らないけど。あんなにバスケット好きだったのにな。
未現像のモノクロフィルムにメモされている日付が随分前のものであったり、デジタル写真もRAWデータのまま放置されているものもたくさんあるあたりからも余裕のなさが感じられる。
プリントだってほとんどできていないし、渡すつもりでプリントした写真が未だに小分けにした袋に入った姿のままで、その人の手に渡るのを待っている。
こうやって振り返ってみると、時間の余裕というよりも、心と体の余裕がなかったのだろうなぁ。
疲れとかストレスとかからくるどんよりした気持ちをうまく切り替えることができなかったし、毎月のように体調を崩し、なかなかブログだって書けていないし。
疲労困憊の毎日で、前ほど前のめりな感じで写真を撮るような感じではないけど、こういう時でも日々の写真は残していきたい。本当に、時間はあっという間に過ぎてしまうようだし、子供達の成長は本当に早いから。
構図とか露出とか、だいたいでもいい。とにかく、ファインダーを通して今の自分が見ているものが分かるような写真を残していきたい。今、自分の眼の前にある光景をスクラップしていくようなイメージ。
その一つ一つには大した意味もなければ力もないかもしれないけど、ある程度のまとまった量になれば、自分の気持ちが写真から感じられるようになるんじゃないだろうか、とうっすら思っている。
写真にはそれを撮った人の気持ちが感じられることがあるから。本当に不思議なんだけど。
でも、自分がどんな気持ちで何を見ているかを残すことに何か意味があるのかとたまに考えてしまうことがある。あまり好きではないけど、そういう癖がある。そして、おそらく、そんなことに意味を感じる人なんてまずいない。
自分自身以外には。
自分で何か意味を見いだせていれば、もうそれで十分じゃないか。
自分でもよく分からないけど、それをやらないとどうにも気が済まないということがたまにある。なんでだかよくわからないけど、とにかくやってみないと気が済まないということが。それはきっと自分の気持ちの中に何か引っかかりがあるからじゃないだろうか。その引っかかりが取れるなら、やってみる意味はきっとある。自分自身のために。
やっぱり最後は自分との対話みたいなものだなぁ。
辛い日々でも、そういうときにしか撮れない写真だってあるかもしれない。
力まず焦らず、今だからこそ撮れる写真をコツコツと残していけたらいいな。