インターネットがくれたもの。
インターネットの世界には、どちらかというと役に立たない情報の方が多いと思う。あるいは役に立ったとしてもすぐに役に立たなくなってしまうようなものが多いと僕は思っている。
それでも、何かとグーグルに質問しては、その検索結果をまたグーグルで検索するというようなことを繰り返している。
そういうやり方で、なんとかやり過ごせてしまうことは本当にたくさんある。でも、そういうやり方でいいのかなぁということはよく色んなところで言われていること。上手に使うことが大切ですよ、と。
インターネットが身近な存在となってからもうかれこれ20年。
その間、自分はこの技術革新をうまく使ってこられたのだろうか。
使いこなせている気がしているだけで、本当は使わされているだけなんじゃないだろうか。最近、そんな疑問がふつふつと湧いてくる。
自分が気がつかないうちに、望んでいない方向にころころと転がってはいないだろうか。なだらかな坂だから誰も気づいていないだけなんじゃないだろうか。
自分で考えているつもりでも、その考えがどこかで見かけたり、聞いたりしたものだったということはよくあること。
自分の考えになるまでじっくりと自分の頭で考えているだろうか。
一つのことを考え続けるということは根気もいるし難しい。やらなくて済むならそうしたい。
きっと多くの人がそう思っているはずだ。
インンターネットはこの考えるということを減らしてくれたようにも見える。
でも、結局は、それによって生まれた時間を、より困難なことを考えるために使うことを求められるようになっただけ。
いつになっても、考えるという行為はとても大切なこととして求められ続けている。
こんなことを考えていると、いつも頭に浮かぶ台詞がある。
「君から学ぶことは何もない。なぜなら君の言うことは全部本に書いてあるから。」
学生の頃に何度も見た「グッド・ウィル・ハンティング」に出てくる台詞。もう随分と長いこと見ていないので、細かいところは間違っているかもしれないけど、初めて聞いた時のドキッとした感触はなんとなく胸の中に残っているような気がする。
あの頃は何かと背伸びをしていた時期でもあったから、思い当たるところがたくさんあったんだろうなぁ。
写真だって同じだ。
どこかで見たことあるような写真、本当に多いもんなぁ。
写真を撮るとき、無意識のうちにどこかの誰かの写真のイメージは浮かんでいないだろうか。
インターネットで色々な写真を見ることができるようになって便利になった反面、難しくなったことも多いような気がする。