運動会と子供たち。
先週は子供の保育園の運動会だった。
早いもので、上の子は保育園に入ってから6回目の運動会で、今年が最後だ。
初めての運動会なんて、ただお母さんに抱きかかえられているだけで何もできなかったのに、今となってはリレーに出たり、竹馬したり、鼓隊で演奏したり、鉄棒で色々技をしたりとたくさんのことができるようになっていた。
春先から、この日のために色々なことを練習してきたとはいえ、思っていた以上のことをしていたので、こんなことまでできるようになるのかと、驚いてしまった。
まだ自分に子供がいなかった頃、子供の運動会で頑張って場所取りをして写真やビデオを撮ろうとする親たちをどことなく冷めた目でみているところがあったのだけど、今ではすっかり自分がなんとか写真に残そうと必死になっている側。
今でも、撮るばかりではなくて、しっかりと見る方が大切じゃないか、という気持ちも強くある。それでも、撮ろうとするのは、こういう発表会のような場では「今しか撮れない瞬間」がたくさんあるからからということに尽きる。
子供はすぐに大きくなってしまうから、「今しか撮れない瞬間」というのは、いつどこで撮っても同じ。だから日常写真だって毎日のように撮るのだけど、運動会という場面では、いつもは見られないような表情を見せてくれるから、今この瞬間にしか撮れない、という気持ちがより強くなるのだと思う。
家では見たことがないような、必死で頑張る子供たちの表情を見ることは、楽しみでもあり、新鮮な驚きでもある。
自分が知らないところでこんな表情しながら頑張っているのかと、普段の自分が知らないところでの頑張りに思いを巡らせていると、子供の成長の早さに驚く。
まだまだ小さいと思っていても、本当にあっという間に大きくなっていく。子供に対する自分の認識と、子供の実際の成長とを確認するような場でもあるのかもしれないなぁ。
運動会の楽しみは、それだけではなくて、その場にいる全員の頑張っている姿を見ることも含まれていると思う。
頑張っている子供たちの姿を見ていると、不思議と心が和む。
優しい気持ちになるような感覚もあると思う。
これはまったくの個人的感覚なのだけど、いつもの仕事や人間関係に疲れているものがほぐされるようなところがあるからではないかと思っている。
打算や布石といった戦略的なことなどなく、ただ一生懸命に何かに取り組む姿というものに、大人になってからはなかなか巡りあうことができない。自分自身だってできない。
それが、運動会では次々に繰り広げられる。
ちゃんとできるかな、って心配そうに見ている人ももちろんいるし、暑さに顔をしかめている人もいる。でも、それでもその場にいるほとんどの大人は子供に負けないほど必死に食い入るように見ていたり、楽しそうに笑みを浮かべながら見ている人ばかりだ。
そんな姿を見ていると、大人たちは自分の理想や夢みたいなものを勝手に子供たちの姿に投影しているのかもしれないなと、感じられてしまった。少し考えすぎかなぁ。
でも、だからこそ、子供の運動会に行くと、ものすごく疲れるにもかかわらず、
「子供達もあんなに頑張っているのだから、自分も頑張ろう」
という気持ちになったりするんじゃないだろうか。
子供達の頑張る姿を見られたことで、まるで自分の心が洗われたかのような、清々しい気持ちに。
最近、ちゃんと頑張れていたかなぁ。