写真をプリントすること。
最近、僕の中では写真を引き伸ばすことがすごく楽しくなってきている。
フィルムを出して、後日プリントを撮りに行った時に気に入ったものがあればその場で引き延ばしをお願いしたり、家でじっくり考えてから改めてお願いしに行ったり。
写真を始めたころはL判で満足していたし、引き延ばすことなんてちっとも考えてなかった。でも、暗室で六つ切りの引き延ばしをするようになってから、引き延ばすことの楽しさが分かるようになってきて、気に入った写真は大きくちゃんとプリントして残したいなと思うようになった。
今週も、友人の結婚式の時にバケペンで撮った写真を四つ切りに引き延ばしてもらった。もちろん本人に贈るためなのだけれど、もしかしたらそんなに大きくしたものいらないかもしれないし、そもそもその写真を気に入るかどうかも分からない。だから、これはすごく自分勝手な行動でもあるかもしれないのだけれど。
それに、最近は写真と言えばデジタルだし、写真を贈るといってもプリントするのではなくてデータで贈ることが多い。実際に写真を見るという行為もプリントではなくてディスプレイで見るという機会の方が圧倒的に多い。
ただ、そんな時代だからこそ大切な写真はプリントして贈りたいと思う。プリントをするためには写真を選ぶこと、プリントすることというプロセスが必要で、その結果、形になったプリントに対してはやっぱり思い入れのようなものが出てくる。
なんというか、ただ単に写真を贈りたい訳ではなくて、その写真にまつわる想いとか色々なものをひっくるめたものを、写真という一つの形に託しているような気がする。
そして、そういったものを体現するにはなんとなくフィルム写真が一番しっくりくるのだ。これは個人的な好みかもしれないし、単なる男の変なノスタルジーのようなものかもしれないのだけれど。
でも、フィルムで撮って、現像して、ネガから直接レンズで焼いてプリントするということは、その1枚に何人もの手が加わっていて(一人でできることもあるけど)、そういうプロセスの中で人の想いがその1枚に託されるような、そんな気がしている。
アナログなプリントだから、その1枚はその時にしかできなくて、同じ物は他には無いのだというところが、大切なものをその1枚に託すという行為にぴったりだと感じているのかもしれないな。